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小泉八雲とうなぎの縁|「鰻の道」と松江に残る大鰻伝説

小泉八雲と鰻

NHK連続テレビ小説『ばけばけ』でも話題となった、ラフカディオ・ハーンこと小泉八雲。日本文化を深く愛した一方、食事では洋食を好み、鰻の蒲焼は数少ない和食の好物だったと伝えられています。さらに、松江へ向かう際に通った「鰻の道」や、旧意東村に残る大鰻伝説など、島根には鰻にまつわる興味深い話があります。この記事では、史実と伝承を分けながら、八雲とうなぎをめぐる物語をご紹介します。

鰻師 卓

和食が苦手だった八雲先生も、鰻の蒲焼はお気に入りだったってぇじゃねぇか。松江に残る不思議な鰻話まで、ひとつ覗いてみようぜ!

小泉八雲が好んだ鰻の蒲焼

うなぎの蒲焼

日本の風景や人々の暮らし、古くから伝わる物語に心を惹かれた小泉八雲。一方、食生活では幼い頃から親しんだ洋食を好み、和食には馴染みにくかったようです。

その八雲が好んで食べた数少ない和食のひとつが、香ばしく焼き上げた鰻の蒲焼でした。

日本で見つけたお気に入りの味

八雲の曾孫であり、小泉八雲記念館館長を務める小泉凡氏によると、鰻の蒲焼は「八雲が愛した数少ない和食のひとつ」だったといいます。

鰻の脂に甘辛いタレをまとわせて焼く蒲焼は、日本料理のなかでも香りと味がはっきりしています。洋食に親しんでいた八雲にとっても、食べ応えのある料理として馴染みやすかったのかもしれません。

これは蒲焼の特徴から考えられる理由ですが、八雲にとって日本で見つけたお気に入りの味だったことはうかがえます。

焼津に残るうなぎの逸話

晩年の八雲は、静岡県焼津市を夏の保養地としてたびたび訪れました。

焼津には、八雲が立ち寄ったとされるうなぎ料理店の逸話も残っています。海岸近くの店で過ごしながら海水浴を楽しむこともあったとされ、鰻が日本での暮らしに馴染んだ好物だったことが伝わります。

八雲と松江を結んだ「鰻の道」

鰻道

1890年に来日したラフカディオ・ハーンが、最初の赴任地として暮らしたのが松江でした。

松江で過ごした期間は約1年3か月でしたが、城下町のたたずまいや水辺の風景、土地の人々が語る怪談や民話との出会いは、その後の作品や日本観に大きな影響を与えています。

八雲が松江へ赴任する道中で通ったとされる出雲街道。その街道筋には、中海周辺で獲れたうなぎを生きたまま大坂方面へ運んだ「鰻の道」の歴史が残っています。

のちに鰻の蒲焼を好んだ八雲が、うなぎの流通を支えた街道をたどって松江へ入ったことには、不思議な巡り合わせを感じます。

土地に残る古い呼び名や、人々が語り継いできた話に関心を寄せた八雲なら、「鰻の道」の歴史にも興味を示したかもしれません。

責鞍(せめくら)の滝に残る大鰻と淵の主の伝承

小泉八雲とうなぎの縁をたどる一方で、旧意東村には、大鰻が淵の主になったという古い伝承も残されています。
ここからは、東出雲の水辺に伝わる、うなぎにまつわる不思議な言い伝えをご紹介します。

鰻師 卓

ここからは八雲先生とは別の話だ。昔の意東にゃ、淵の主になった大鰻の伝承が残ってるんだぜ!

責鞍の滝に伝わる大鰻

責鞍の滝には、戦国時代の合戦で命を落とした騎馬武者にまつわる伝承があります。

亡くなった武者を哀れんだ土地の人々は、残された馬具を滝のそばの祠に祀ったといわれています。その後、武者の霊が大鰻へ姿を変え、淵の主になったと語られるようになりました。

淵の主となった大鰻は、水辺にすむ不思議な存在として畏れられていました。人の死と水辺の生き物が結びつき、土地の言い伝えとして残された、どこか物悲しい怪異譚です。

日照りの際に現れた大鰻

日照りが続いて滝の水が干上がると、大鰻が姿を現し、雨を降らせたとも伝えられています。

責鞍の滝の伝承からは、うなぎが食材として親しまれる一方、水辺に宿る特別な存在としても捉えられていたことがうかがえます。

鰻師 卓

東出雲に、こんな大鰻の伝承が残ってたとは驚きだねぇ。鰻ってぇ魚は、昔から人の暮らしや祈りにも関わってきたんだな!

国産・超特大280gうなぎを使用した山美世のうな重

大根島で味わう山美世の地焼き

うなぎの地焼き

八雲が好んだ鰻の蒲焼や、松江に残る鰻の物語に触れたあとは、中海に浮かぶ大根島まで足を延ばしてみてはいかがでしょうか。

大根島に店を構える「うなぎ処 山美世」は、1914年創業のうなぎ専門店です。大根島の地下水を使った鰻の管理と、蒸さずに焼き上げる地焼きの技を大切にしています。

山美世が受け継ぐ地焼きの味と地下水で整える活鰻

山美世では、仕入れた活鰻を大根島の地下水が流れる生け簀で休ませ、状態を整えてから調理します。

仕入れた鰻をすぐに調理せず、地下水の中で数日間泳がせるのが山美世のこだわりです。

鰻の状態を見ながら丁寧に管理し、焼き台へ送り出します。うなぎの味は産地だけでなく、仕入れた後の水や管理方法によっても変わります。

蒸さずに焼く伝統の地焼き

山美世の蒲焼は、蒸しの工程を入れず、生の鰻を直接焼き上げる地焼きです。

皮目の香ばしさや身の弾力を生かしながら、受け継いできたタレをまとわせて仕上げます。山美世の歴史や地焼きへのこだわりは、以下の記事で詳しくご紹介しています。

八雲が好んだ鰻の蒲焼、松江へ続いた「鰻の道」、責鞍の滝にすんでいたとされる大鰻。史実と伝承をそれぞれたどったあとに地焼きの蒲焼を味わうと、松江とうなぎをめぐる物語が、より身近に感じられるでしょう。

鰻師 卓

鰻の道に、責鞍の滝の大鰻、それから大根島の地焼きよ。松江の鰻話は、知るほど味わい深ぇじゃねぇか!

まとめ|八雲と鰻をめぐる松江の物語

山美世のうなぎの蒲焼

小泉八雲は和食に馴染みにくかった一方、鰻の蒲焼を数少ない好物として楽しんでいたと伝えられています。松江へ続く「鰻の道」や、東出雲の責鞍の滝に残る大鰻伝説からは、この地域とうなぎをめぐる意外な歴史や言い伝えも見えてきました。

八雲とセツの足跡をたどったあとは、中海に浮かぶ大根島へ足を延ばし、八雲も好んだ香ばしい蒲焼を味わってみてはいかがでしょうか。山美世では、大根島の地下水と地焼きの技で仕上げた鰻をお楽しみいただけます。

山美世のうなぎ

届くのは、老舗の仕事。

うなぎ処 山美世 六代目店主 渡部 卓

島根県松江市にて大正時代から続く「山美世」の現当主。 代々続く秘伝のタレを守りつつ、脂を落とさず鰻本来の旨味を引き出す「地焼き(関西風)」の技術を研鑽。「鰻は生き物であり、一尾として同じ個体はない」という信念のもと、季節や個体差に合わせた火入れを徹底。

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